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vol.30 原 裕一さん トライアンフボンネビルボバーTFCなど




原さんがバイクを意識したのは、弟さんがバイクのレースをしていたことだった。バイトで費用を稼いだり仲のいい友人がスポンサーとして支援しながらレース活動する姿を見ていたが、原さんは、バイクに興味が湧くことはなかった。




進学で福岡へ、その後就職し上京して2年が過ぎた頃、車もバイクもさして興味はなかったが、お祖父さんが「車を買うなら援助する」と言われたことがきっかけでBMWの320iを手にいれる。トヨタ・スープラが登場した時期で価格も同じくらいではあったが、金利の差でBMWに乗ることに。人生初の車だった。周りも車を持っている仲間がいた。休みとなればドライブに出かけた。


ダイビング・スキー・海外旅行と色々な趣味があった、趣味の域を超えて一生懸命だったのはアメリカンフットボール。マーベリックスの初代クオーターバックも務めた。


時は過ぎ、子供の習い事で送迎していたとき、ぽっかり空いた時間を過ごすのに、目に入ったのはバイクショップ。「バイクショップは入りにくい」「バイクの知識がない自分にはちょっと…」と躊躇していた。が、「一度だけ」と意を決して入ってみることに。


ショップに並んでいたのはトライアンフの車両。STAFFと話すうちに色々なことがわかった。「知らない」が「面白い」に変わっていった。


時はコロナ蔓延期、ソロで楽しめる趣味がないかと思っていた。「風を感じながら走るバイクはいいな」と思うように。


お子さんの送迎のたびにショップを訪れ、話を聞く。「面白そうだな」「かっこいいな」「欲しいな」と想いは加速していった。


何度目かの来店でついに1台1台シリアルナンバーが入った特別仕様のモデルを契約してしまう。バイクが納車される頃は免許も取れているだろう。この時、原さんは2輪免許がなかった。


青年会議所の先輩が社長を務めるテラバル自動車学校に電話する。とんとん拍子で進み、翌日には入校していた。


普通自動二輪から始まり、排気量無制限の大型自動二輪へ。400ccの教習車ではクラッチに慣れずエンストすることもしばしばだったが、ステップアップした大型の教習ではスムーズに乗ることが出来た。来校するたびにバイクを操ることが楽しくなっていた。このまま教習コースだけでもいいんじゃないかとその時は思ったほど。


インストラクターは一人一人個性的で、優しく丁寧、高い技術を垣間見ることもあった。教習に行くことが、「飽きた」「行きたくない」「めんどくさい」と思うことなく卒業できた。


免許が取れるのと時を同じくしてトライアンフ ボンネビル ボバー TFCが納車される。バイクライフのスタート。それからは阿蘇・天草・福岡・大分・鹿児島など九州内はもちろん、四国に渡ってキャンプツーリングにも出かけた。


住まいの近くにある福岡のバイクウエアショップ主催のツーリングにも度々参加。しかしその際には、バイクを保管している熊本の実家までが遠く、ツーリングの集合場所にいくまでに、すでに、もうひとっ走りしなくてはならなかった。そんなとき「高速走行が楽なバイクが欲しいな」という発想に。


そんなとき職場の近くに、バイクショップがオープン。BMWと出会う。情報で聞いていたカラーリングが気になっていたがネットや印刷物では確信が持てなかった。どうしても納得がいく色が欲しかったため、大阪のモーターショーで実物を見て決断することが出来た。

2台目の愛車、R18Bを購入。






長距離はR18B、中距離短距離はボンネビルと使い分けている。どちらも気に入っている。


北海道にフェリーに乗っていってみたい。次の目標は北の大地を走ること。

遠くない将来、原さんのアルバムに北海道を走る姿が収められるだろう。







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